西洋風個人主義的人間観の限界で新しいブログを立ち上げようとしたがブログを作れず。
ブロガワ通信のコーナーとして立ち上げる。
巡礼的コーナー
日付け。
僕が長年言いたかったことはこのことかもしれない。
ギリシャ的人間観ではもはや限界がある。なんども定義に帰ったが無駄。人間の定義自体大きく変えなければこれ以上の人間理解は望めない。
この戦いの中でギリシャ的人間観。ギリシャ的定義に帰れてき哲学がむしろ邪魔になる。そこでギリシャが滅亡してしまったのなら仕方ないだろう300とか。真実の前に一国の運命などひとたまりもないのだ。ギリシャ哲学が真の意味で知を愛しているかどうかが問われている。知を愛しているのかいこじな自分を愛しているのかが問われている。
なぜ。僕の中で最初にギリシャが滅亡してしまったかわかったような気がする。
国別対抗戦には出ないといっていたのに。
ギリシャの滅亡なくして新しい世界はないのではないか。
古く凝り固まった人間観を打破。
汝自身を知れ。
現実を見よ。
自分が西洋の個人主義をどこまで理解しているかも疑問だが。
東洋の逆襲。
東洋世界の逆襲が始まるかもしれん。
あたらしい人間観。
新しい宗教
新しい世界が来るかもしれん。
(ギリシャの知性的資産を乗り越えていく覚悟があるなら)
深い。
闇があるかも。
奴らは真の知性を愛してはおらず。現実を把握する力もなく。
あああ失望だ。
WHOにも限界があるし。
メッディーナとの戦いもある。
パンドラ?
ギドラだかサドラだか。
限界を突破する必要がある。
何人の人がついてこれるか。
僕は確かな場所から発信している。確信に満ちている。
この話が何を表しているか?
限界。
まさに限界。
正四面体。を置いておこう。宇宙の果て。
宇宙の向こう側。
人間の真実の定義。
人間の知られざる能力と定義。
いよいよわれわれの時代が来る!!!
21世紀か。すごい時代になるかもしれん。
純粋 西洋風個人主義的人間観 批判。
かあ。
歴史的書物。
歴史的書き込みになるかもしれん。
うすうす気づいとる人も多いかもしれん。
いま。現在時刻。12:50 2022/11/17